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執筆者の写真浜町 しんじ

自己紹介

皆さんはじめまして!浜町しんじと申します。

生年月日は1991年10月21日生まれ男性

出身は高知県西部幡多郡の港町で育ちました。

職業はフリーランスをやっており、

今はFlagConnectionで3つの事業をしています。

・web制作(ホームページ制作、動画制作)

・アウトドア事業(キャンプアドバイザー、書籍販売、案件動画)

・人材派遣事業(地元のみ)

このサイトでは主にホームページについてのブログを

投稿していくのでよろしくお願いします!

この記事には自分がどういった人間でこの事業に入ったのかを書いていきます。



・幼年期から社会人になるまで



自分の家族は両親と姉が二人、自分含めて五人家族で一番下の末っ子として育ちました。

幼少の頃、自分は病弱で小児喘息を患っていました。


少し走るだけで喘息の発作が起こり、頻繁に寝込むことが多かったため、あまり外に出られず、家の中で遊ぶことが日常でした。


その結果、他の子供たちよりも育ちが良く、

「デブ」として過ごしていました(笑)。


喘息を治すために小学校ではソフトボールを5年間続け、中学校では卓球を3年間続けました。少しずつではありますが、喘息は改善され、普通に生活できるまでになってのですが、病弱で甘やかされて育った影響か、性格は自分勝手で、嘘をつくことが多い子供になってしまいました。それでも、お人好しの性格は残っており、友人関係は良好でしたが、今思うと周りが私に合わせてくれていたのかもしれません。


その性格のまま高校生に上がり(その時の体重98キロ)スポーツの興味も薄れ、適当に美術部に入って高校でできた仲の良い人達と適当にゲームや漫画を読んだり遊ぶことばかりで勉強もろくにせず、通信簿では3か2しか取れていませんでした。


このときは評価を得るために先生の手伝いや周りの手伝いを積極的に行い、無遅刻無欠席を心がけて活動しているので先生からの評価は高く、高校2年から「浜町生徒会に入れ」と言われて成り行きで高校卒業まで生徒会所属になりました。


その時自分のもう一つの性格に気づきました。


それは「頼まれたらNOと言えない性格」だということです。


最初は頼られてると嬉しく思っていたのですが、あとから思うと愚痴は言うけど断らないから扱いやすい人物だと思われていたのかもしれません。


こんなメチャクチャな性格のやつが生徒会で大丈夫かと思われるでしょうがなんとかなりました(笑)


なんだかんだ先輩や後輩とも普通に打ち解けて先生方ともうまく出来ていたのでこの性格でも良かったのかな?と思ったのも事実です。


そこからいろんな行事にも参加し、準備をして盛り上げるなど充実した高校生活でした。

ただ悔しかったのは3年生の後半で休校日に治まっていた喘息が久々に発作が起き(しかも結構重い)呼吸困難になり意識が朦朧となり急遽病院へ向かい医者から

「絶対に次の日は休むように」

厳重注意を受けて渋々休んだので三年間無遅刻無欠席になれなかったのは悔しかったです。

そんな高校三年間を過ごしました。

その頃の自分の将来は介護職を目指したいという夢を持っていました。

なぜ介護職を目指したのか、自分が住んでいる港町は人口の7割が年寄りで小さな頃遊び相手が同じ学校の子供や、年寄りが遊び相手で近所のお年寄りが子どもたちを連れて公園に遊びに行くなどたくさんお世話になりました。


ただ年が立つにつれて遊んでもらったお年寄りが弱っていく姿、いつも元気に重いものを持っていたお年寄りがつらそうに持っている姿。


その姿をずっと見ていたのでなにか手伝えることはないのか?自分がなりたいものは何なのか?悩み続けていると親から「介護に入ってはどう?」その言葉で自分が将来介護になりたいと思い、高校卒業後専門学校に行こうと決めました。


専門学校を受験し無事合格(指定校推薦の枠に入れたので面談だけでいけた)翌年には二年生の専門学校へ通うことになり、そのときの生活が一人暮らしだったのでもう大はしゃぎで一人を満喫、友人もできて遊びに行ったり一人でゲームをしたり自堕落な生活をしていました。


それでも自分が目指した介護なので勉強や実習は真面目に受けて平均的な成績と無遅刻無欠席で無事卒業まで行くことが出来ました。


ただ専門学校に入ったときにとある先生に自分が「NOと言えない性格」であることが見抜かれ先生に、「うちの学校が継続してるボランティアに参加するように」と強制的に施設のシーツ交換を毎週行かされるようになりました。


メンバーは先輩が5人いたのですが同学年が自分だけで先生からも「メンバーは自分で集めなさい」と指示を出され半年でなんとか4人集めることができ計10人で施設のシーツ交換のボランティアにいっていたのですがそのボランティア先が2つ離れた町にあり(しかも電車がない離れた場所)交通網がなかったので、


大人組は自家用車、自分のよう地元から離れた学生組は自転車で現地集合しておりその時には足もパンパンで高校から太っていた体は98キロから86キロまで体重は減りました(笑)


お陰で体は軽くなりましたが、その分毎週いかなくてはいけないというプレッシャーがきつかったです。

ボランティアだから毎週っ参加しなくてもいいと言われていたのですがその時担当の先生に言われたのが一人でも休むとみんなに迷惑がかかるから絶対に用事があるとき以外は休まないようにと言われほお帰省や他のボランティアに参加する以外のときは雨が降っていても参加しました。


その時はグループチャットができるアプリがないので連絡手段が少なく雨の中参加するために向かうと自分ひとりだけのときもあれば、職員から人数いないから帰っていいよ(自転車で片道2時間かかる)返されることがありました(笑)


そんなこともありながら専門学校の成績は平均的で体重も減り毎週のボランティア参加で(一度も休まずに参加)評価は上がっていたのですが2年生が卒業し自分がリーダーになったので新入生からボランティアのメンバーを集めたのですが半年でたった2人しか集まらず自分たちが卒業したら少人数になるけど大丈夫かな?と聞くと


「先輩が辞めるなら私達もやめます!」

と言われボランティアが続けられなくなり、


それを担当の先生に話すとそれなら自分が責任を持ってボランティア先に謝罪に行ってこい、それで謝罪にいくと施設側からものすごく怒られました。


施設側は

「そっちからやりたいと言ってきたのに突然辞めるっていうのは失礼じゃないのか?」

と1時間近く怒られてから解放されました。


気分が落ち込んだ状態で先生に報告すると

「この学校の伝統になったらいいと思ったのに残念やなぁ。もっとお前が集めればいいだけの話だった」

この言葉でかなり落ち込みました。


最初無理やり参加させられ、ボランティアだから休むときは休んでいいと言われたけど長期の休み以外はできるだけ参加していたのになんで自分が責任を負うの?

そう思ってメンバーにも愚痴っていたりしましたが、

まぁ今思えばリーダーでやってたから仕方ないのかもと思いますね。


そこから先生から卒業までネチネチ嫌味を言われるようになったのは今でも腹が立ちます。

あとから知ったのですがこのボランティアはその先生が無理やり始めて学生も強制参加させたあとは放置しているって先輩に教えられたときは本気で殴ってやろうかとおもいました(笑)

そんなこともありましたが無事に卒業し地元近くの身体障害者施設に就職しましたがそこは1年ほどで退職しました。


・最初の就職



初めての仕事が身体障害者施設で最初はやる気があったのですが、次第に理不尽な暴言、暴力による身体的ストレスと怪我が増え働いて1月で先輩から「お前死んだ魚の眼をしたホテルマンみたいな顔だぞ」と言われその時体重は78キロにまで減りました。


これが笑いながらだったらふざけて言ってるのかなと思うけどかなり真面目な顔で言われたのでかなり精神的に追い詰められていたみたいです。


それから昔の性格も治らず、利用者や先輩職員から色々頼まれた仕事をこなすため必死に動いて準備など済ませても返ってくるのが暴言と暴力、

「舐めんな!やってやる!」とがむしゃらに施設で働き、終業時間が過ぎても先輩の手伝いや人数が足りないところに応援に入って3時間以上の残業、夜勤明けで朝一に勉強会あるから現場で作業してて指示があり一睡もせず夕方まで働くといった日もありました。


その時先輩に言われたことは「あれ君今日メンバーにいたっけ?」「夜勤明けなの!?お疲れ様!」と言われた日は本気で「◯◯すぞ、、」と思ってしまいました(笑)

そんな状態でずっと働いていて、休日は基本家から出ないでずっとベットで眠り続ける、もしくはずっとゲームをするか酒を煽るような生活をしていて、11月中頃に体に異常が発生、全身の関節が固まり、動かすと激痛が走り、動くことすらままならない状態になってしまいました 。


それでも負けるかという思い出で出勤。痛み止めを多く服用して仕事に無理やり参加していましたが12月に入った頃にもう痛みが強すぎてもう無理となり

悔しいですがこの施設を辞めるようにして他の施設に応募し採用され、12月終盤には退職をしました。


・2回目の就職



退職してから1週間体を休めたあと新しい職場に就職し痛む体を抑えながら仕事をし、少しづつですが体も治ってきていましたが、仕事量的にも前の職場よりかはずいぶんとゆとりを持つことが出来、楽しいと思える友人たちとも出会え順風万風な仕事生活でしたが、利用者と家族からの理不尽な暴言を受け、暴力はないのですが精神的なストレスは常に経続し、仕事場の周りが店が多い土地だったので、惣菜を大量購入して晩ごはんを食べたあと酒と惣菜でまた食べて飲むを繰り返す暴飲暴食な生活になり、痩せていた体は2年後には100キロに増加。


やめなければやめなければと思いつつもその生活は続き、最終的には120キロまで増加!

これはまずいと思い今現在もダイエット中です(笑)


太っていく体を心配しつつ今できることを必死にやっていくけど理不尽な暴言は続き、2年後には人と話すのに恐怖をもつようになりました。


それでも利用者の家族だからと話しを聞いたり、その話を担当に報告、上司から「広報を作ろうと思うけど、パソコンが使えるがやったらお前作れ」と広報作成の担当になり、仕事終わりに17時から21時まで作成することになり、メンバーもいたのですがみんな子持ちで結局3年間一人で毎月作成していました。


辛いのがそういった作成系は苦手で必死に考えつつこう追うを作成したのですが部署異動になり後輩に作り方を教えて移動したあとから広報の更新はありませんでした。


部署がかわり、覚えるものも覚え仕事をしていくと仲の良い職員も増えていき定期的に食事や遊びに行くことも増え、ストレスを少しづつ発散しながらも充実した日々を過ごすことが出来ました。

その中からキャンプの誘いが来て一緒にキャンプをするようになり月1の楽しみが増えたときにとある人に出会い自分の人生を変えようと決心しました。


・とある人との出会い



就職して9年介護職をしてそこで仲が良くなった人たちと遊ぶほど体調はましになり、その中のひとりとキャンプをするようになり、キャンプが月1の楽しみになっていた頃にとある人に出会い新しい道を進むことになりました。

その人はコンサル業をしている人で話を聞いていくうちに自分の中にあった気持ちに気付いたのです。

それは楽して稼ぎたい(笑)

 

正直その頃にはもう精神的にも肉体的にも弱っておりもう人と関わりたくないという気持ちが大きく本音をいうと身内や友人とも会いたくない、そんな気持ちが強くあったからキャンプにハマったのかもしれません。


話を戻しますがそこでコンサル業の方と出会いその人の話してみて憧れを持ちました。


自由な発想とその人のいきいきとした表情。自分はぼろぼろなのに羨ましいと嫉妬心もあり、自分よりも年上で色んな経験を積んで積んでるから今の自信があると、その話を聞き自分は成人してから同じ職種で頑張ってきたけどまだまだ頑張りが足らないんだと実感しました。

その時自分は思いました。


自分が体験していない人生に挑戦してみてもいいのでは?と、、


ただ決心がつかなくどうしようか悩んでいるとコンサル業をしている人に「自分が出している教材があるよ」といわれ最初は渋ったのですが最終的には買ってしまいました。


教材を見ていくと今まで自分が知らない知識や技術があり、ワクワクが止まりませんでした(笑)


それでも自営は怖い. 今の生活を捨てるのはどうなのか?と悩んでいると一緒にキャンプをしている友人から「一緒にやらないか?」と誘われ、それがきっかけになり、親の反対を押し切って介護職をやめ今の自営業の道へ進みました。

最初に始めたのは二人が好きだったキャンプをメインにしたアウトドア事業を始め、

キャンプアドバイザーをすることになりましたがその頃から

自分自身に違和感を覚えました


・わからなくなった



ある違和感とは人と話すのがわからなくなってきたことです。

最初は少しだけだったんですがその人がなんの話をしているのかわからなくなるときがあり、でも違和感程度で気にするまでもないと思いそのままにしました。

でも気づいたきっかけがあったのです。


・自分の能力の低さに気づく



自分が普通と思っていた学習能力がかなり低く、他の人が10分ほどで覚えられることを1時間もかけないと覚えない、作業スピードも上げれず時間がかかりすぎる。


理解力の低さ、要点をまとめる能力の低さがどんどんあらわになってきて自分自身がわからなくなりました。


もういい大人なのに人が理解できない、まとめられない、

それがわかりだすと言葉が出なくなる。


事業を始めても自分だけ技術が追いつけない、その焦りでどんどん自分は必要ない人物なのでは、むしろここにいるから周りにより迷惑をかけているのでは?


自分が言ってることは全部間違っていて、喋れば喋るだけ迷惑をかけてしまう。


その気持ちがどんどん強くなっていき、プレゼン練習や話す練習の時無言が怖く「えー」「まぁ」「それで」など相手が話すタイミングを潰す話し方、早口で聞き取りづらい口調、普段話すときは普通なのに仕事になるとあせりでおかしくなる。

それが事業を始めて浮き出てきた自分の状態です。

それから余計に話したくない、普段の会話も怖い、身内との会話も怖い、自分で理解できたと思ったのに理解できていない、人と合わなくても動機や頭痛吐き気がひどくなる。


そこから責任を取りたくないから人に任せて逃げたり、

自分から変わろうと行動することもやめ娯楽に走りました。

最初は逃げて逃げて楽になろうとしました。


何度も離れるべきではと思う一方、こんな自分でも周りは手を差し伸べてくれている。

みんながここまで教えてくれている、自分を変えようと手伝ってくれている。


自分はもう少し頑張ろう、もう少し自分から行動しよう。

みんなのお陰で少しづつですが前へ進んでいくことができています。


・きっかけを思い出す



思い出したんです。

自分はなんのために事業を始めたのは、楽して稼ぐこともそうですが、

自分がこの世界に入ったきっかけ、楽しそうだから、自分を変えたいから、成長するのが楽しいから、こんな自分でも成長することができるそれなら他の人はもっと感嘆に成長できるんだから一緒に楽しんで学んでいきたい!


その自分の思いに気づき知識をつけることが楽しいと思えるようになってきました。

そこからは姿勢を変えて猛勉強です。

今でも話し方や失敗をすることもあります。


それでも少しづつ話せるようになる、

その人のために何をしようか?こうしたらもっと喜ばれるんじゃないか?

現にホームページ制作の依頼が入り作成後管理もしましたが、その依頼してくれた方は自分が作ったホームページに感動してくれて、管理でどれだけの人が見られているのか毎月報告するととても喜んでいただけています。


そんなこともあり少しづつですが自信がつきはじめ、もっともっと新しいことができるようになりたいと言う思いが強くなってきているのです!


・今後の課題



今でも理解力や要点をつかめていない、学びも他の人より遅い. それでも自分が今でも事業で生活できているのが進歩しているからいまも仕事ができているのです。


自分が作ったもの、関わったもので他の人の役に立ちお金も稼ぎたい!


今でもその気持が高く少しづつですが学びと技術が上がってきています。

たとえ学習能力や作業スピードが人より遅くても何事も行動することで自分自身が進歩していると実感がわき自信につながってきているのでこれからも学びや技術向上を辞めるつもりはありません。


そして自分が学んだこと身につけたことをこのサイトでブログとして書いていきたいと言う計画を立てました。


・このサイトは



このサイトでは3つのことを記事にします。

1.ホームページについて学ぶこと

2.ホームページを作る際の必要な技術

3.ホームページがあることによるメリット

これらの内容を通じて、みんなで成長していきたいと思います!

ここまで読んでいただきありがとうございました!


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